2/26/2015

[2015/02/26] Trench Town - The Birthplace Of Reggae

早いもので2月ももう終わりますね。

今日はレゲエ月間の最後に 
Trench Town - The Birthplace of Reggae(トレンチタウン - レゲエの生まれた場所)
というコラムをご紹介したいと思います。
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Studio Oneの名作達
*当店の商品ではありません

トレンチタウンはジャマイカで最も有名なコミュニティと言っても過言ではない。それを手伝ったのはBob Marleyの不朽の名作と言うべき、No Woman No Cry、その名の通りのTrench Town、そしてTrench Town Rockだ。Bob Marleyは中でも一番有名な住民だが、トレンチタウンがジャマイカ音楽の生まれた場所である、という事実については誰も語ることがないーーレゲエだけではなく、スカ、ロックステディも、そしてそこから派生したダンスホールもここで生まれた。ジャマイカ音楽の書物の中にある最も人気のあるアーティストたちはこのコミュニティで生まれ/育ち、そこで音楽の製作を始めたのだ。

著者が2010年に参加したトレンチタウンの3時間ウォーキングツアーでは、住民であるJunior Lincolnがかつてトレンチタウンに住んでいた歌手達の名前と住んでいた道の名前をあげてくれた。以下にそれを記したいと思う。

    •    Marley, Bunny Wailer, Peter Tosh and Wailing Souls on First Street
    •    Delroy Wilson on Second Street
    •    Joe Higgs, Adina Edwards, Junior Braithwaite and Lord Tanamo on Third Street
    •    Strangejah Cole and Ken Boothe on the extension to Third Street
    •    Jimmy, Desmond and Junior Tucker, Cynthia Schloss, Dean Francis and Ernest Ranglin on Fourth Street
    •    Lascelles Perkins, Alton and Hortense Ellis, Rastafarian elder Mortimo Planno, Collis Robinson, Dobby Dobson and Noel ‘Scully’ Simms on Fifth Street
    •    The Folkes Brothers, Bunny Robinson, The Paragons and The Techniques on Sixth Street
    •    Wilfred ‘Jackie’ Edwards, Eddie (of Alton and Eddie) on Seventh Street
    •    Above Seventh Street were Toots and the Maytals, Leroy Sibbles, Bongo Herman, members of The Clarendonians and Roy Shirley

他には以下のような名前が。
Clement ‘Sir Coxsone’ Dodd, Duke Reid, Prince Buster, Marcia Griffiths, Rita Marley, Judy Mowatt, Bob Andy, John Holt, Dennis Brown, Horace Andy, Don Drummond, Lee ‘Scratch’ Perry and King Tubby

いったいこれらのトレンチタウンの住民達は実際何をもたらしたのだろうか?1960年代、田舎に住む人達がより豊かな生活を求めてこの街にやって来た。この音楽の急成長を導いた才能の集大成は、1963年にあの名高いStudio Oneを設立したSir Coxsoneによるものだ。そしてStudio OneはBerry Gordyの、米デトロイトを拠点とするMotownスタジオに匹敵するジャマイカの素晴らしいレーベルと評価されるようになった。また、近くのDenham TownのBond Streetにあったライバル的存在のスタジオ、Treasure Isleとは静かな冷戦があったと言われている。


 1932年にキングストンで生まれたCoxsone Toddは元々農場の労働者で、1950年代の半ばにDown Beat Sound Systemを始めた人物だ。そこで彼に与えられた必要な機材、レコード、3つのスピーカーを買う機会を使い、そしてこれがスタジオを作る基礎となったと言う。これによりジャマイカで皆から愛される音楽のシーンが形になり、また、時を同じくしてスカと呼ばれる新しいビートがキングストンのクラブでプレイされるようになっていた。彼はStudio Oneをこの流行の波に乗せるために作ったのだ。Studio Oneにあった機材は、他のライバルスタジオであったChannel OneやJoe Gibbsに比べると非常に原始的な物だったと言われているが、今でも廃れることのないそのリズムはDoddのジャマイカの音楽シーンを確固たる物にした。

しかしそれらのジャマイカ文化への貢献もよそに、トレンチタウンの住民達はこれらの著名な住民たちの築いてきた物から特に経済的な恩恵を受けていない。そこにはMarleyがかつて住んでいたことのある有名な共同住宅、"Culture Yard"を中心に、この文化を守るための人々の努力がある。また、11のイベントからなるTrench Town Festival(毎年2月に開催)は、コミュニティが "ジャマイカの豊かな遺産を表現する音楽、スポーツ、食べ物、そして若い力の素晴らしさをアピールすることを通し、コミュニティがジャマイカの文化に貢献するショウケース"だ。






Culture Yard

記事原文:http://digjamaica.com/blog/2015/02/23/trench-town-birthplace-of-reggae/2/

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ジャマイカのゲトー(貧困地域)はそれぞれのコミュニティでそれぞれのルールがあるので、基本、先進国の人間だけで興味本位に行くのはおすすめしません。行く時は、信用できるジャマイカ人と一緒に行くのがベターです。


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