10/16/2016

Jamaica Heroes' Day

明日10月17日(月)はジャマイカのナショナルヒーローズデーです。毎年10月の第三月曜日がこの日として制定されており、ほとんどのお店がお休みになります。
*近年、キングストンも祝日はお店を開けるところが増えてきていますが、ジャマイカ全体ではまだまだ日曜日や祝日は休息日、教会へ行く日、という認識が強いので、ご注意を!

さて、ナショナルヒーローは現在7人いて、どなたも今のジャマイカの土台の部分を築くことに全身全霊をかけ、ある人は命を捧げ、非常に大きな貢献をしました。ジャマイカを、そしてレゲエを愛する方、ジャマイカに行ったことがある方もこのヒーロー達の顔をどこかで目に、その名を耳にしたかもしれませんので、今日はそのヒントも併せてご紹介します。



Paul Bogle(1822 - 1865)
キリスト教の司祭(いわゆる牧師にあたる人)でジャマイカのすべての人に自由と平和を!と掲げ活動してきたのですが、Morant Bayの行進のあと、政府に逮捕され、イギリス軍総督の指示のもとMorant Bayの裁判所で死刑にされました。

銅色の10セントコインの顔です。


Sir Alexander Bustamante(1884 - 1977)
ジャマイカ初代首相。反植民地政権を掲げたリーダーとして活動を始めます。
現在の政党のひとつ、JLP(ジャマイカ労働党)を設立した人でもあります。
Shaggyが毎年行うチャリティーコンサートで集まる寄付金の行き先の多くは、キングストンにある小児専門病院バスタマンテ病院と言います。この病院は、このバスタマンテ卿の名前からつけられています。

7角になっている銀色のコイン1ドルの顔です。


Marcus Mosiah Garvey(1887 - 1940)
奴隷解放活動家でアフリカ回帰主義者。一般的にはこの英雄の中で一番有名と言えるでしょう。彼は奴隷解放のための活動をジャマイカのみならずアメリカ各地で集会を行い、多くの人の心をつかみ、支持を得ました。UNIA(世界黒人開発教会)を設立した人でもあります。彼の意志は世代を超えて今もなお引き継がれています。

ご存知の通り、彼の名はジャマイカ(レゲエ)では曲では多く取り上げられ、自分たちの歴史に貢献した偉大な父として歌われていますが、ラスタかと思いきや本人は違うと否定しています。彼は1920年代に、「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」と預言したのですが、その後にエチオピアのハイレセラシエ 1世が誕生したことでラスタファリアニズムが彼の信念を大きく支持しました。

Hip HopアーティストのMos Def とTalib Kweliで構成されるユニット、The Black Starの名はGarveyがアメリカで設立した貿易会社、Black Star Lineにちなんでいることも有名です。

またGarveyはアメリカで活動中、詐欺罪で逮捕されたことがあるのですが、この逮捕はのちに誤解だったと言われており、2年前アメリカのオバマ大統領がジャマイカを訪れた際、ジャマイカ政府はこの逮捕を歴史的な記録から取り消してほしい、と大統領にお願いしたと言われています。

25セントと、20ドルコインの顔の人です。


Norman Manley(1893 - 1969)
キングストンの空港の名前ですね。この人の名前からつけられました。
既出のBustamante卿の設立したJLPと対立している政党、PNP(人民国家党)の設立者です。そしてBustamante卿のあとに首相に就いています。
一番小さな銀色のコイン5ドルの顔です。


Nanny of the Maroons(1686 - 1755)
ジャマイカの女性活動家です。この中ではたった一人の女性ですね。フランスのジャンヌ ダルクのような人で18世紀の初め、マルーンという反奴隷体制の組織を率いてイギリス軍と戦いました。強い女の象徴です。

ジャマイカ人が500ドル札のことを通称で”ナニー”と呼ぶのは、このお札にナニーの顔が印刷されているからです。ちなみに、1000ドルは、Michael Manleyというジャマイカの歴代首相の一人ですが、印刷されている人の顔に関係なく、1グラン(Grand 英語でも1000ドルはグラン)と呼ぶことが多いですね。
英語ではナニーは乳母という意味なのですが、ジャマイカでナニーと言ったら子育てしている人は別として、たいてい500ドル札のことを言っていると思って問題ないと思います。


Samuel Sharpe(1801 - 1832)
自由主義、革新主義の司祭(いわゆる牧師)で奴隷解放の指導者として活躍しました。
ジャマイカの奴隷時代後期、Sharpeは奴隷たちの労働に対すて賃金の要求を奴隷主に訴える運動を起こしました。
しかし1832年5月、この運動が熱くなり暴動に発展したことで多くの奴隷が逮捕され、処刑されることになりました。そしてSharpはその首謀者としてMontego Bayのダウンタウンの広場(のちにSam Shape Squareと命名)で処刑されました。
彼が最後に残した言葉は
 “I would rather die among yonder gallows, than live in slavery.”
  “奴隷として生きるなら、ここで絞首刑にあったほうがましだ”

この忘れ去られることのない歴史的出来事は現在もモンティゴベイのダウンタウンに彫像とあわせて残されています。その処刑からわずか2年後の1834年8月、イギリスは奴隷制度を廃止しました。
50ドル札の人です。

George William Gordon(1820 - 1865)
白人の父とジャマイカ人の母の間に生まれたGeorge Gordonは政治家であり実業家でした。自分で読み書きや計算を勉強し、のちにSt. Thomas(ジャマイカ東部)を買い、地主として裕福になりました。その後、政界へ進出し、自由主義を唱えジャマイカ史に残るMorant Bayの行進の首謀者として皆を引率しました。
Paul BogleはGeorge Gordonの熱烈な支持者でした。

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余談ですが、今日このジャマイカの7人の英雄をご紹介するにあたり、この↓ノートに印刷された顔を撮影しました。このノートはジャマイカでとても一般的に使われているものですが、今日改めて見て、ちょっとした話のネタとしてジャマイカ好きへのお土産にいいかも?と思いました。(表紙の模様やページ数にバリエーションがあります)

その訳ですが、まず、このノートは数少ないMade in Jamaicaです。ジャマイカのお土産品の多くは中国や台湾で作られています、たとえそこにYah Man! Jamaicaと書いてあってもです。



表紙を開くと、左はジャマイカの人気コメディアンIty & Fancy Catの顔(これは広告も兼ねているので時々で変わるはず)と、12 x 12のかけ算表が!(ジャマイカの学校では、かけ算は12段まで覚えるんだそうです)
そして右ページにはジャマイカの歴代首相、絶滅危惧種のジャマイカ由来の動物、通貨、ジャマイカ固有の鳥達が載っています。



裏表紙には、今日ご紹介したジャマイカのナショナルヒーロー、ジャマイカの歴代総督、国歌、ジャマイカの地図、カリブ共同体の国々など、ジャマイカを勉強する人たちには有益な情報が載っています。



このノート、Pharmacyや書店、スーパーマーケットなど文具を置いているお店には必ず置いていますので、ぜひチェックしてみてください。なお、書き心地はそんなに良くないのでそこは悪しからず。

http://tingsandtime.shop-pro.jp/ 
Tings & Time Records
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