12/10はGarnet Silkの没後20周年です。これに向けてJamaica Observerが様々な思い出エピソードをご紹介しています。今日はGarnet Silkがサウンドマンだった時の話。
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ジャマイカのレゲエアーティストと言って名前が出ないことはないGarnet Silkだが、音楽の道の始まりはダンスホールだったという。最初は彼の産まれたManchesterでdeejay Little Bimboという名を名乗ってサウンド活動をしていたんだそう。
キングストンに移った80年代からも人気プロデューサーコンビ、Steely & Clivieのお抱えだったSilver Hawkのようにサウンドに籍を置き、ダブを録り、現在のダンスホールレゲエと呼ばれる音楽が出来始めた頃に貢献した人の一人である。
また同時期に活動していたサウンドシステムには80〜90年代にかけてトップを走って来たKilamanjaroがいたが、Silkが1992年にJaroのトップセレクターであるRicky Trooperに会った時には彼はすでにアーティストとして頭角を現していた。
Trooperは当時の事を思い出し、自分とSilkはキングストンのJaroのオフィスでのミーティングで初めて会ったが、その後すぐに親しい存在になった。またその最初のミーティングではちょっとした揉め事があったとTrooperは明かしてくれた。
「Silkのダブを2曲欲しかったんだ。"It's Growing"と"Nothing Can Drive Us"の2曲にハーモニーをつけてね。けど彼はやりたがらなかった。“ダブにハーモニーをつけるって?!”って言ってね。困った事になったからJaroに話してSilkに歌ってもらえるよう金を払ってもらったんだよ」
だがその後SilkはTrooperとの信頼関係を築き、コーラスを入れることに対し少しずつ納得していった。TrooperはSilkのことを"real person"だと言う。今まで会ったアーティストの中で一番謙虚な人だ、と。
その彼の謙虚さを物語るエピソードを教えてくれた。
あるサウンドがダンスでSilkを"コークヘッド"だと言ってDisしたことがあった。さらに翌週、そのセレクターはSilkがいるスタジオにSilkのダブプレートを録りに来たんだ。
「だから俺は言ったんだ、“Silk、あんな風にお前をDisする奴らにダブなんて録ったら絶対ダメだからな!”
するとSilkはこう言ったんだ、
“Trooper、愛が解決してくれるよ。奴らが俺をDisしたってことは、奴らがイエス様をDisしたってことだ。”
愛、誠実な心、そして相手を敬う心(Love, Honour, and Respect)これがGarnetが持っていた信念だね。」
Garnetは1994年、彼の母とともにManchesterの自宅で火災に遭いこの世を去っているが、その5年後の1999年、Kilamanjaroは"Kilamanjaro Remembers Garnet Silk"というアルバムをリリースしている。
記事原文: http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/Garnet-Silk--the-sound-system-man-_18064958
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