ここ最近、キングストンは本格的な雨期に突入!ほぼ毎日、午後になると遠くの空が薄暗くなり、雷雨がやって来る!お陰で、水不足からは解消されたが、下水等のインフラが整っていないジャマイカでは、至る所で水害が・・・毎年同じ問題で悩んでるのに、なかなか良くならないのがジャマイカ。
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さぁ、このシリーズでは前回伝えたように、Reggaeを知るうえで欠かせないジャマイカの歴史について、解りやすくまとめてみようと思う。今回はまず、奴隷制度の始まりについて。
ジャマイカは元々スペイン、イギリスの植民地であって、今現在ジャマイカに暮らしてる黒人達の先祖は皆、アフリカから無理矢理連れて来させられた、まったく自由のない奴隷だった事は知ってるべ?
■1492年
コロンブスにより発見されたジャマイカは、スペイン人達(白人)による支配が始まる。
ジャマイカには南米からカヌーで渡って来たアラワク人という先住民が暮らしていたが、スペイン人達による支配が始まり50年も経たないうちに約10万人いたアラワク人が、戦争やスペイン人達が持ち込んだ病気に感染するなどの理由で絶滅してしまう。
そのため、各地に作られたサトウキビ畑では労働者不足が深刻な問題となり、その問題の解決のために奴隷として連れてこさせられたのが、アフリカの黒人達だった。
そこからスペイン人達による支配は約1660年頃まで続く。当時の首都はビジャ・デ・ラ・ベガ (現在のスパニッシュタウン)。
■1652年
イギリスが西インド諸島(カリブ諸島)の覇権を奪うために向かったイスパニョーラ島(現ハイチ、ドミニカ)の攻略に失敗したため、その矛先をジャマイカに変え、1655年にはイギリスがジャマイカを実行支配することになる。
その後しばらく、イギリスが実行支配はしていたが、諦めの悪いスペインも何度か反撃に来ていたため、首都をポート ロイヤル(映画 パイレーツオブカリビアンの冒頭に出てくる街)に移す。
ところが、1692年に襲った大地震によってポート ロイヤルは崩壊。商業の中心地はキングストンへ移り、また、スペイン領時代の首都は再建されて名前をビジャ・デ・ラ・ベガからスパニッシュタウンへと改名。
そして1962年に独立するまでの間、ジャマイカにいる黒人達は自由を奪われ、支配者層の言いなりとなって暮らさなければならなかった。
-------------ここまでが史実として描かれていた内容 -----------------
ちなみに、そんな荒くれ者達が集まった集団をマルーン族(Maroon)といいます。
〜〜奴隷船についての噂話〜〜
『西アフリカから連れて来させられた奴隷達を積んだ船はまず、南米Venezuelaに寄り、そこからTrinidad & Tobago、Grenada、Barbadosといった地図上でジャマイカより右下の島から徐々にマイアミの方に向かっていた(下の地図参照)。
どうやら、おとなしく、真面目そうな人達から先に船を降りていったらしく、最後の方のハイチやジャマイカに着く頃にはかなりタチの悪いイケイケな黒人達しか残っていなかった。だから、ジャマイカ人とハイチ人はカリブ海でも特にタチが悪いと言われてるんだぜ!! 』
という話を聞いた。
まんざら嘘では無さそうな話だな・・・。
Tings & Time Records
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